ノリコ=ポーロの西方見聞録

勉強できない、英語しゃべれない、でも広い世界へ飛び出したい!との思いから、添乗員となり世界中アチコチ飛び回り、様々な人たちとの出会いや交流、旅のドタバタ劇などをご紹介していきます。このブログは、星野管工(株)発行のホシカン通信に掲載しているコラムのバックナンバーです。

苦節一年

 十日間に及ぶ新人研修ツアーも無事に終了し、私達は海外ツアーデビューの日を夢見ながら会社からの仕事の依頼を待つのでした。

 

 早く海外ツアーに行きたくて、わくわくしていましたが、中々自分の思うように上手く海外ツアーの仕事が入るわけもなく、相変わらず、びっくりバスツアーで、海外研修前と全く変わらない仕事ばかりでした。

 

 それというのも、私が最初に所属した派遣会社は様々な旅行会社の下請け的存在で、国内、海外のあらゆるツアーを請け負っていたので、どんなツアー会社の仕事になるか毎回異なる為、同期研修仲間の間でも差が出てしまうのでした。

 

 私より年上のOL経験のある友人は、「Jパックのシンガポール4日間」のツアーに添乗して、お客様、旅行会社の担当者から良い評価を受けたため、ほぼ専属のように毎月、海外の仕事が入っているとの話。次々と仲間が海外デビューして行くのを横目に、私はどんどん気落ちしていきました。

 

 「一日も早く海外デビューしてヨーロッパに行きたいね~。がんばろ~!」と同じ年の同期と話していましたが、年齢も一番若く、社会経験が無かったせいか私たちはいつまでたっても国内ツアーしかアサインされず、一年が過ぎました。

 

 ある日、かつてのイギリス遊学時代の友人から連絡があり、彼女は私にツアコンの仕事内容に関して帰国前に相談してきたのですが、なんといつの間にかN本旅行専属の派遣会社に所属して、毎月忙しく海外ツアーに行っているとの話をしました。

 

 「え?なんで?私より一年も後に帰国して私に相談していたのに、私より早く夢を叶えているなんて!どうして!ずるい!羨ましい!チックショー!」と発憤。即、同期に連絡し、いつまでたっても拉致のあかない現在の会社を辞め、早速友人がいるJ派遣会社に採用連絡をし移籍することにしました。

 

 私達は、面接、採用試験に合格してN本旅行の専属添乗員としてめでたく新たな一歩を踏み出し始めたのです。のりこ23歳の春でした。

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ムーラン・ルージュ

  パリの有名なキャバレー「ムーラン・ルージュ」のナイトショーは、21時からの第一部と0時過ぎの第二部があり、スケジュールのタイトな日本人観光客は第一部に行くことがほとんとでした。

 

 キャバレーと聞くと男性のための場所というイメージですが、本場パリのキャバレーは美貌、鍛え抜かれた身体、洗練されたダンスの出来る踊り子さんたちが繰り広げる華やかショーで、観客もドレスアップをしてディナーを食べながら男女ともに楽しむ社交場です。

 

 ただ、この場所はかつては芸術家たちのアトリエがあったモンマルトルの丘中腹で、けっして裕福ではない人たちの居住区のため、夜は治安が悪く、帰りのタクシーも捕まえるのが難しいちょっと危ない場所。それでも、日本の旅行会社がオプショナルツアーとして販売している人気のツアーです。我々研修も本場のキャバレーのショーをシャンパンを飲みながら満喫したのでした。

 

 翌日、いよいよパリの市内観光です。流石は花の都パリ!見どころ満載で3日間あっても足りないぐらいの観光名所だらけです。

 

 ツアーでは一日市内観光で有名どころを巡ります。ルーブル美術館オルセー美術館セーヌ川クルーズ~シャンゼリゼ通り~凱旋門エッフェル塔ノートルダム寺院等を現地のガイドさんの案内を聞きながら観光バスで回ります。

 

 本当にどこを見ても絵になる風景ばかりで、バスの車内からも車窓の景色を見るたびにずっとカメラ、ビデオ撮影に忙しいのでした。

 

 パリの日本人ガイドさんも在住何十年というベテランの方が多く、難しい宗教、歴史、美術の話をとても楽しく話して下さり、改めて日本に帰ってから高校時代の世界史の教科書や資料集で年表をまとめたくなるくらいでした。

 

 最近のパリ市内でのテロのニュースを耳にするたびに本当に心が痛みます。何度行っても、素敵な発見があり、世界の人々が憧れる華の都パリで、二度と悲しい事件が起きないことを願うばかりです。

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添乗員、アシスタント、ガイドの違い

 スイスのジュネーブからTGVでパリのリヨン駅に到着した私達は、
パリのアシスタントさんと駅のホームで落ち合い、荷物の無事を確認し、観光バスに積み込みました。

 

 駅からホテルまでの車内では、パリ滞在中のスケジュールやオプショナルツアーの案内、注意事項等を滞在中のトラブル回避のためにお客様に説明をします。ところが美しいパリの景色を車窓から眺めながら写真やビデオ撮影に夢中になってしまいあまり話を聞いていない、という事態が生じます。しかしこの説明を怠ると後で痛い目に会うことになるので、伝わったことが実感できるまでしつこくマイクを握り続けるわけです。

 

 私たち添乗員はよくお客様にガイドさんと言われますが、ここで簡単に添乗員、アシスタントとガイドの違いを説明してみます。

【添乗員】出発から帰着までのツアー中、お客様と一緒に行動して旅の旅程管理を行う。各旅行会社に所属する旅程管理主任者。

【アシスタント】各都市の駅、空港~ホテル間、オプショナルツアー等の送迎の手伝いをしてくれる現地旅行代理店のスタッフ。現地人の場合は英語で会話する。

【ガイド】主に観光案内が主流の為、現地人のローカルガイド、一緒に通訳する現地在住の日本人と二人組でセットで来ることが多い。

※観光案内の仕事は専門資格を必要とし、その資格を持っていないと案内することができない為、日本人ガイドは通訳という立場になります。中にはその資格を所有している日本人もいるので、その場合は1人でも観光案内が出来ます。

 

 という具合にそれぞれの役割分担があるので、ホテルのチェックイン等は、アシスタントさんと一緒に行います。私が手続きしている間に、アシスタントさんはスーツケースの盗難防止のために見張っていてくれたり、ホテルのポーターさん指示を出してくれたりします。

 

 この日は、パリのホテルにチェックインして、かの有名なムーランルージュのキャバレーに出かけていきました・・・。

ラゲッジ勝負のTGV

 十日間に渡る研修旅行もいよいよ終わりに近づいて来ました。

 

 私たちは、スイスのローザンヌからジュネーブに移動し、ジュネーブ市内散策を終えて、最終目的地であるフランスのパリへと向かいました。

 

 ジュネーブ~パリ間は、ヨーロッパの新幹線とも言われているフランスが誇るTGV(テージェーベー)で約3時間の旅です。

 

 憧れの花の都パリに行ける嬉しさも感じつつも、本番では自分一人で20~40人のツアー客を連れての移動になるので、ホームでの集合場所、トイレの位置、両替所、そして列車の乗車位置などをしっかりと確認してから、列車に乗り込みました。

 

 そして、ここの山場は荷物の搬入。

 

 乗客用車両と荷物用車両は別なので、荷物の確認作業を怠ると、荷物がないとか、他の日本人ツアーの荷物と間違ってしまうというトラブルが発生してしまう難所なのです。

 

 荷物運びのポーターさんは現地アシスタントの手配なので、私たちツアコンはバスから降ろしたスーツケースのタグに付いたツアー名、色、名前をお客様ご本人に確認して頂いてから、ポーターさんに荷物を搬入してもらいます。

 

 私たちが気をつけていてもここは海外。リスク軽減のために、団体ツアーに参加するお客様に必す荷物のタグ、バッジを付けて頂く理由がここにあるわけです。旅行者のタグ以外にも、自分のスーツケースを見分けやすくする為にバンダナ、リボン等を結び付けておくのがおすすめです。

 

 という具合に、入念にすべての確認作業の段取り確認を済ませて、私たちは、ジュネーブを後にしてパリへと出発しました。

 

 因みにヨーロッパは陸続きの為、国境を超える際にも列車の車掌さんと一緒に税関の職員が乗り込んできて、私たちのパスポートを確認してくれますので、簡単な確認作業で出入国終了となります。TGVに乗り込んだ私たちは、目的地パリの勉強をしながら車窓の景色を楽しんだりして3時間の旅を楽しんだのでした、次回はいよいよパリです。

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チーズフォンデュの思い出

 翌日は、ルツェルンからスイスの首都であるベルンを経由し、レマン湖畔に突き出たモントルー近郊にあるシヨン城を見学してから船で2時間かけてクルージングを楽しみローザンヌに宿泊するという行程でした。

 

 今回の研修旅行では、スイスの移動はほとんどが長距離バスだったので、我々研修生はすべての観光名所、車中の案内等を全て1人でこなさなくてはならず、中々大変なコースでした。クルーズ船では、しばしの休息が出来たので、私達もゆっくりと景色を楽しむことが出来ました。

 

 街並みは、どこも可愛らしく素敵なところばかりでした。中でも私のお気に入りはローザンヌです。ローザンヌ国際バレエコンクールが開催されるので皆さんも耳にしたことがあるかもしれません。

 

 ローザンヌでは、ちょっとリッチな古城ホテル、ボーリバージュパレスに宿泊することが出来たので、とてもラッキーでした。ここはヨーロピアンスタイルのホテルで、かつての宮殿を改修した、とても格式のある素敵なホテルでした。湖にも歩いて散策できる距離でしたので、みんなで街を歩いて市内観光した後は、カフェに入って美味しいアイスクリームを食べたのを覚えています。

 

 夜は、ホテル内レストランでのディナーでしたが、スイスと言えば、一番に思いつく料理はチーズフォンデュですよね。しかし、その当時はまだ美味しいワインの味もわからない小娘でしたので、なんだか想像していたよりも白ワインの味ばかりが感じられて、「あまり美味しくないんだな。お酒の飲めない人は、こんなの食べたら酔っぱらってしまうのではないか」と思いながら食べていて、我々日本人にはチーズフォンデュよりもオイルフォンデュ(熱したオイルの中に、肉、野菜を入れて調理する、オイルしゃぶしゃぶ、素揚げのような)かフォンデュシノワーズ(中華風フォンデュ)(まさに中華だしスープで調理するしゃぶしゃぶ)の方が食べ易いと思いました。

悲しいスイスの歴史

Felice  anno nuovo!  

「明けましておめでとう!」(イタリア語)

 今年も宜しくお願いします。

 

 さて、我々見習い添乗員一行はリヒテンシュタインからスイス中部にある街・ルツェルンに到着しました。

 

 ルツェルンは人口8万人弱の静かな街で、周囲をピラトゥス山・リギ山に囲まれ、ルツェルン湖の湖畔に位置し、自然豊かで美しい街並みが魅力です。

 

 あまり観光地としてメジャーな街ではありませんが、のんびりと優雅な旅をしたい方にはぴったり。

 

 一泊した翌朝、私達は旧市街から街のシンボルにもなっている湖にかかる中世の趣が残るカペル橋等を散策してから、有名な瀕死のライオン像に向かいました。

 

 この像はルイ16世とその家族を守って死んでいったスイス傭兵達の悲劇をテーマに扱った記念碑です。

 背中に折れた矢が刺さったライオンはスイス人傭兵を表し、ライオンがかばっている盾はルイ16世を表しています。

 

  何故、スイス人がフランス国王を守ったか、悲しい歴史に触れてみましょう。今でこそスイスと言えばチョコレート、銀行、高級時計、平和な永世中立国、といったのんびり美しい国というイメージが思い浮かぶかと思いますが、スイスは国土の大半が山地で農作物があまりとれない貧しい国土のため、傭兵稼業が基幹産業でした。  

 

 一方で隣接する他国にとっては侵略が極めて困難な上、それに見合った利益が得られない国と見做されていたので、スイスの安全保障にプラスに働き、中世の時代は屈強なスイス人傭兵を各国が召し抱え、「血の輸出」とよばれていました。  

 

 中でも有名なのがローマ教皇を守り最後まで戦った話。ちなみに現在でもバチカン市国の衛兵たちは、スイス人傭兵です。制服はミケランジェロの作ですから、バチカン市国に訪れた際はスイス人傭兵の制服にも注目してみて下さいね。  

 

 この「瀕死のライオン像」の悲しいエピソードは、今でも心に残っているほど私にとって、本当に衝撃的な歴史の話でした。

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小さな国 リヒテンシュタイン

 十日間に及ぶ私たちの研修旅行も行程の半分まで来ました。

 ドイツを後にして、次の目的地スイス~パリへと向かいます。

 スイスまではずっと長距離バスでの移動。ゆっくり休めるかというとそうはならず、車内では私達がマイクを握り、バスガイドさんのお仕事もすることになる過酷な道中なのです。  

 ノイシュバンシュタイン城のあるホーエンシュバンガウの町からスイスのルツェルンに行く途中、世界で6番目に小さい国リヒテンシュタイン公国ファドーツで途中の休憩をしてから行きます。  

 25年前は、まだEU(欧州統合)が統合されておらず、共通通貨が無かった為、国が変わる度に両替の必要がありました。ドイツマルクからスイスフランへの両替の必要もあり、このリヒテンシュタインの両替屋さんが良いレートで交換してくれたので、トイレ休憩をするのに必ず立ち寄ったものです。  

 リヒテンシュタインは、ルパン三世の映画「カリオストロの城」のモデルにもなったお城としても有名ですが、世界一豊かな国としても知られています。  

 更に諸外国の首脳達が南米パナマに巨額の隠し財産を所有していたことが昨今話題になりましたが、このリヒテンシュタイン公国タックスヘイブンとして名高いことが知られています。  

 因みに、25年前は世界最小国5番目だった気がするので、現在の世界最小国を調べてみました。

一位:バチカン市国 イタリア首都ローマ市内(0.44㎢)

二位:モナコ公国 フランス南部 (2.0㎢)

三位:ナウル共和国 太平洋上のサンゴ礁の島(21.0㎢)

四位:ツバル オセアニア南太平洋上エリス諸島の島 (26.0㎢)

五位 サンマリーノ共和国 イタリア南東部(61.0㎢)

六位 リヒテンシュタイン公国 (160.0㎢)  

 最小国家が洋上にあるのはわかる気がしますが、陸上でヨーロッパにだけある、というのがキリスト教の歴史の複雑さと面白さを感じますね。