ようやく海外研修がスタート
国内旅行の仕事であちらこちらに行く機会が増えてバスツアーに慣れてくると、次に新幹線の旅、更には飛行機のツアー、と距離も遠くなり、宿泊日数の長い仕事が増えて来ました。
東京湾からフェリーで高知県に着いて四国周遊したり、夜行バスで鳥取砂丘まで走り初日の出を拝みに行ったり。日本中津々浦々を旅する事が出来て楽しかったのですが、私の目的は『海外旅行のツアコン』だったので、早く海外のツアーに行きたくて仕方がありませんでした。
あちこち国内を回り始めて一年以上経ってから、ようやく海外研修に参加出来ることになり、期待と不安を抱えながら年齢の違う同期十数人と海外研修に出発しました。
研修先は、当時一番人気があった「ドイツ、ロマンチック街道とスイス・パリ十日間」のコースでした。
研修内容は会社のベテランのツアコンT支店長が私たちに実地指導を行いながら、研修者が交代でツアコンの業務を行うというものでした。
みんな片手には研修内容をまとめるためのノートと、首からかけられるボールペン、服装は全員がツアコンファッションの紺ブレを着ていました。
ドイツロマンチック街道は人気があるものの、フランクフルト空港に着いてからは添乗員が自分一人ですべての業務をこなす添乗の難所。なので研修にはもってこいの場所です。ロンドン、パリ、ローマのような大都市は現地の係員さんやガイドさんが同乗してくれて、ホテルのチェックインから市内観光へという流れになるのですが、このコースではドイツの小さい街をめぐるので係員さんもガイドさんもいません。飛行機に13時間乗り、ぼーっとする頭をすぐに切り替え、空港に着いたら、ポーターさん(スーツケースをバスまで運んでくれる人達)にツアー名を告げて、自分で現地のバス会社を見つけに行き、お客さんの両替、トイレ等を済ませてから出発する、というなかなかハードなコース。次回は、この研修の詳しい内容についてご案内させていただきますね。
ツアコンの登竜門 立山黒部アルペンルート
新人ツアコン時代のツアーの中でも一番思い出深いコースは「立山・黒部アルペンルート」です。通常のバスツアーは、バスガイドさんが同乗しているので、車内案内等は丸ごとお任せ。私達添乗員が案内するのは行程、日程の案内だけなのですが、バスを降りてからの案内は我々の任務。ここからがとても複雑で、かなり難易度が高いコース。本当に新人の添乗員泣かせのコースでした。
皆さんもご存じの方は多いとは思いますが、このアルペンルートとは長野県側と富山県側を結ぶ立山と黒部ダムを通過するコースです。
観光バスは、長野県側の扇沢で下車してから添乗員が一人で30~40人のお客様を誘導して、トロリーバス~ケーブルカー~ロープウェイ等を乗り継いで、半日ほど時間をかけて通るコースです。
団体旅行の場合は、すべての乗り物に予約時間が入った団体チケットを私が一人で管理し持っているので、乗車時間を常に確認しながら、お客様に自由行動の時間を案内するのですが、真夏のハイシーズンには団体客でごった返していて、お客様が迷子にでもなったら、探すのがほぼ不可能なくらいの混雑。
そんなわけでしたから、本当に自分の担当している団体客から迷子が出ないようにあらゆることに集中して、ご案内していました。
因みに30回位行きましたが一度も迷子は出さずに、いつの間にかアルペンルートのベテランになっていました。
アルペンルートは、4月~11月中旬の間に開通しますが、ベストシーズンは3回あります。
まずは、なんといっても4月の開通してすぐの雪の大谷ウォークの時期、そして9月下旬から10月にかけての紅葉シーズンで標高差があるために紅葉が楽しめる期間が長いのです。そして、7月~8月にかけての夏の涼しい時期に行くのもおすすめです。
6月中旬から10月半ばまでに行われる、黒部ダムの観光放水も、迫力があって、お勧めです!
ますの寿司
私の所属した派遣会社は、色々な旅行会社のツアーを委託していたので、まず新人の私達はKツーリストの「日帰りびっくりバスツアー」でのデビューとなりました。
研修を終えたとは言え、いきなり一人での初仕事。旅行の日程表、名簿、お客様への案内マニュアルを握りしめて集合場所である、東京駅の八重洲北口で目印の赤い旗を片手にお客様を待つのでした。
手頃な価格の日帰りバスツアーは、年配の方々に大変人気があり、朝7時頃集合、出発して帰りは夕方の6時頃までに帰着するツアーがほとんどでしたが、高速道路が渋滞をした場合は、東京の安いビジネスホテルに泊まらなくてはなりませんでした。桐生から通っていた私には東武伊勢崎線のりょうもう号が唯一の帰宅手段だったので、渋滞した時には終電に間に合うかどうか、毎回、時計とにらめっこしていました。
日帰りバスツアーに慣れてくると今度はバスでの1泊、2泊のツアーに昇格しました。まずは近場から徐々に遠くなり、日数も長くなってくるのでした。
人気の高い伊豆方面 「修善寺温泉、熱川、熱海、下田」、北陸方面 「立山・黒部アルペンルート」、「能登半島・輪島の朝市と永平寺」、「金沢の兼六園と加賀屋」、「たらい舟と佐渡ヶ島」、等々、毎月20日間位は仕事でどこかに行っていました。ツアーに添乗する方面、コース等は一切選べなかったので、時には毎週のように同じコースに行くこともあり、だんだん各地のホテル、お土産屋さん、バスの乗務員さん達とも顔見知りになって来ました。
各地の名産品をお土産として家に持ち帰っていましたが、中でも私は富山の「ますの寿司」が大好物だったので毎度のように買って帰り、我が家の夕飯の食卓には、ほぼ毎週「ますの寿司」が並んでいました。
今は北陸新幹線が開通したので、昔に比べて北陸地方がぐーんと近くなりました。今度、新幹線で北陸方面を訪れてみたいと思っています。
ツアコンへの道2
新人ツアコンとして派遣会社に登録した私は、ツアコン研修を受ける為に東京に毎日通うことになりました。
ツアコンとして働くには、(社)日本添乗サービス協会(TCSA)などが認定する「旅程管理主任者」になる必要があります。
TCSAなどが主催する基礎研修と指定研修を受講した後に当該資格を取得できるのですが、私が所属した会社では「基礎相当研修」を無料で実施していたので、基礎研修に代えることが出来ました。
指定研修は、国交省登録の旅程管理研修機関(日本添乗サービス協会など)主催の有料研修となります。
日本添乗サービス協会主催の指定研修の場合
国内旅程管理研修 2日間 受講料10,500円
総合旅程管理研修 3日間 受講料16,000円
※ ただし、平成7年までに旅行業務取扱主任者資格(現:旅行業務取扱管理者)を取得された方は、TCSAなどの指定研修を受講する必要がありません。
業務内容を勉強し指定研修を受けた後、実地研修として日帰りのバス研修を受けました。どこへ行ったかは忘れてしまいましたが、同じ時期に研修を受けていた仲間が十人位いました。
私達は手に研修のマニュアルを握りしめて、まずはお客様との集合する場所、場面での対応からバスに乗り込んで、バスツアーの行程の説明等をしながら、旅程管理の仕事を学んだのでした。
バスガイドさんとツアコンの違いについて言うと、バスガイドさんはバス会社に所属して、バスの中で旅行中の名所・旧跡等の案内をしてくれます。
一方ツアコンは旅行会社の依頼を受けて旅程管理(日程、食事の予約、観光名所等の入場券、ホテル、旅館の支払い等)の業務を行います。
国内旅行ではバスガイドさんと役割分担が出来ているので、ツアコンの仕事は比較的楽ですが、これが海外旅行となると状況は一転。大都市では現地のガイドさんが案内してくれますが、小さな街、例えば周遊型のドイツロマンチック街道やスイス、イタリア、スペイン、イギリス、フランス等の街巡りでは、ツアコンが一人で案内から旅程管理を行わなければならなくなる訳です。
それでもいつか海外を飛び回るツアコンを夢見て、国内研修旅行でバスのマイクを握り、一生懸命に頑張っていました。
ツアコンへの道1
一年間のイギリス遊学を終えて故郷桐生に戻ってきた私は、海外添乗員になって世界中を飛び回るという自分の夢に向かっていくことを決意したものの、どうしたら添乗員(以下ツアコン)になれるのかもわからずにいました。
当時は、まだネットも携帯電話も無い時代だったので、本で調べたりしていましたが、たまたま母の知人の女性で現役のツアコンの方がいたので、色々と話を聞かせて貰うことができました。
彼女は、大手旅行会社の海外ツアーに毎月行っている30代後半のベテランのツアコンさん。
短大時代にコンビニやレストラン等のアルバイト以外就業経験の無い私に「お給料も安定していないし、保証もなく、ツアー中は何か事件・事故が起こっても一人で解決しなくてはならない大変な仕事だから、やめた方がいいわよ!」と熱心に説得してくていました。
ツアコンになる為にはまず旅行会社に入社しないといけないと考えていたところ、 旅行会社に入社してもカウンター業務等の一般事務がメインで、海外添乗に行く為には、旅行会社に所属する専属またはフリーの添乗員派遣会社に所属すれば良いという話をきいて、「それなら私でもなれるかもしれない!」と、気持ちが折れるどころか希望を抱いたのを思い出します。
どんなに反対されても世界中を旅して見聞を広げたいと思っていたので、 私の説得に両親、祖父母も理解を示して、応援してくれました。
さっそく都内のいくつかの派遣会社に連絡をして面接を受けて「エコール=インターナショナル」という素敵なネーミングの会社に合格し、住所を頼りに意気揚々と会社に向かいました。
名前はお洒落ですが、新宿三丁目と市ヶ谷の間にある曙橋が最寄駅の小さいビルの2〜3Fに居を構える会社でした。
見た目はとにかく、この派遣会社に所属してみよう!と決めた私は新人ツアコンとして、まずは国内研修を受けてすぐに、国内旅行の添乗員としてスタートすることになりました。
イギリス遊学 総括
20歳で短大を卒業し、英語の成績もいまいちだった私ですが、このイギリス滞在中に得た経験はどんな宝物にも代えがたい貴重なものになりました。
不安で寂しい時もありましたが、私の事を誰も知らない土地に行き、少しずつ知り合い、友人が出来て行き、英語も聞き取れるようになって行く楽しさは、本当に格別な気持ちで毎日がわくわくしていました。
このイギリス遊学中に出会った海外の友人たちに会いたい!と言う思いから私の今後の人生が決まって行くことになるのですが、それは幼少期からの夢とも重なり、日本に帰国してから、私は旅行会社の添乗員(ツアーコンダクター)を目指して、奮闘するのでした。
来月号からは、新米添乗員の奮闘記をお送り致します。
‘90年4月〜‘91年3月にかけて一年間に渡るイギリス遊学でしたが、この年は『湾岸戦争』が勃発した大変な年でもありました。テレビ中継で観た戦争の様子は、まるで映画のワンシーンのように衝撃的であった事を覚えています。
同じ語学学校にはアラブ諸国からも何人かが留学に来ていて、サウジアラビア、カタール、そしてクウェートの友達もいました。
イギリスではみんな仲が良く、とてもいい仲間でした。
さすがにクウェートから来ていたベトが自分の国がイラクに侵攻された時には、みんなで心配してベトを気遣っていました。緊急帰国した彼は、今どうしているのだろう?と時々思い出します。
あれから25年が過ぎたのに、現在の世界情勢は、ますます酷くなる一方で尋常ではない状態となり、毎日悲しいニュースが絶えませんが、国や言葉、宗教は異なっても、私達は同じ人間であるという事、一日も早く平和な世の中になって欲しいと切に願います。
あまりにも人間たちが利己的で私利私欲ばかりを追求していると、旧約聖書にあるようにまた神様の逆鱗に触れて、大洪水が起こりノアの方舟のような状況になってしまうかもしれませんね。
人類皆兄弟。一日も早く世界平和が訪れますように・・・。
コンチネンタルブレックファースト
スペインのマラガでの新年を満喫した後、旅の最後にマドリッドに住むお友達のフリアを訪ねるために、列車で首都マドリッドに向かいました。
フリアは当時28歳の小柄でとっても明るくて楽しい女性でした。イギリスのパブでは一人でフラメンコを踊りだすような性格だったので友達もたくさんいて、スペイン語のわからない私にも、どんどん話しかけてきてくれた素敵な仲間の一人でした。
そんなフリア宅にお泊りさせて貰い、マドリッド市内を案内して貰ったり、フリアの友人たちとスペインのディスコに連れて行って貰ったりと楽しい時を過ごすことが出来ました。
しかし夕食後ディスコに繰り出したのが、23時過ぎ。明け方までみんなで大騒ぎしていましたが、私はもう意識朦朧としてほとんど眠っている状態。次の日は昼近くまで爆睡してしまいました。
なぜ南ヨーローッパの朝食が他の地域位比べて、質素でシンプルなのか、という理由を体感的に理解しました。
スペイン、イタリア、ギリシャ等南ヨーロッパでは、夕食の開始時間が遅く、家族や仲間達と会話を楽しみながら、ゆっくりと時間をかけて食べるため朝食は食べない人も多く、食べるとしても本当に軽食なのです。エスプレッソ、またはカフェオーレとマーマレードの入った、クロワッサンか甘いビスケットをコーヒーにびちゃびちゃと付けて食べる位です。
ですので、これから南ヨーローッパにお出かけになる際は、ツアーパンフレットに”Continental Breakfast”と書いてあればシンプルな朝食、”American Breakfast”、または、”English Breakfast”と記載してあったら種類豊富な朝食となります。
スペインの友人たちとの楽しい時を過ごした私は、再びイギリスに戻ってきました。私のイギリス遊学も残すところ三か月、友人たちのいない寂しくなったイーストボーンの街を後にして、再び最初の学校のあるヘイスティングスに戻り、別の学校に通うことにしました。