ノリコ=ポーロの西方見聞録

勉強できない、英語しゃべれない、でも広い世界へ飛び出したい!との思いから、添乗員となり世界中アチコチ飛び回り、様々な人たちとの出会いや交流、旅のドタバタ劇などをご紹介していきます。このブログは、星野管工(株)発行のホシカン通信に掲載しているコラムのバックナンバーです。

Vol.49 海外初添乗!

 初海外添乗ツアーは、「ウィーン音楽宮殿とスイス・パリ8日間」でした。

 

参加人数も12人位と少なめでほっとしたことを憶えています。

 

当時このコースは音楽の都オーストリアの首都ウィーンの宮殿にて4重奏の生演奏を聴きながらディナーをする!というドレスコードのある人気企画でした。

 

更にウィーンからスイスのユングフラウヨッホ観光、最後はパリに行く6泊8日のコースでした。ウィーン2泊、スイスのチューリッヒ1泊、ジュネーブ1泊、パリ2泊というそれなりに日程にもゆとりのある、新人向きのコースではありました。


 スイスもパリも新人研修で既に訪問したことがあったので、緊張しつつも少し気持ち的には余裕をもって仕事に臨むことが出来ました。


 出発前のお客様への最終確認の電話で、しっかり「宮殿ディナーの際には、是非お洒落をして下さい!」と伝えて、準備は万端。ドキドキしながら出発の3時間前に成田空港に到着して、空港スタッフから必要書類等を受け取り、航空会社の中で自分のブースを確認して、いざ初仕事です。


 カウンターでお客様を受付け、スーツケースを預かり、ツアーバッジを渡します。全員が揃った段階で集合時間、場所を決めて飛行機の座席の入った搭乗券を渡し、一緒に出国から搭乗ゲートへ向かいます。

 

飛行機に乗ってしまえば、まずは一安心。機内では客室乗務員の邪魔をしないよう添乗員は静かに過ごします。到着間際にお客様にお声がけをし、空港に到着したら一番に飛行機を降りて、お客様を待ち構え全員の人数を確認し、みんなで入国審査場へと進みます。

 

日本国のパスポートは信用度が高いので入国審査で止められることは無かったです。そして入国審査後ターンテーブルへ。このくるくる回るターンテーブルから荷物をいち早く見つけるのに役立つのが色分けされたツアータグ。各旅行会社、各コースに寄って色分けがされているのは、間違えて荷物が他のツアーに持っていかれないようにしているのです。

いよいよ巣立ちの日。。。

一か月の北海道駐在を無事に終えた私達は、いよいよ海外旅行シーズン本番の秋から、海外デビューをしていくことになります。まるでツバメのひな達が巣立っていくように、ドキドキ、ワクワクしながら、いつ自分の順番がくるかと待ちわびていました。

 

 当時の欧州方面の人気のコースは周遊型。「ロンドン、パリ、ローマ十日間」や「ドイツロマンチック街道、スイス、パリ」等。周遊する色々な国の勉強は大変でしたが、大都市では必ず日本語ガイドの方が一緒に同行してくれて、何かわからない時には助言もしてもらえるので、まずは無難な新人向きの「ロン・パリ・ローマ」でデビュー出来たらいいな!と、心密かに望んでいました。

 

 9月になり、ついに私にも巣立ちの順番が回ってきました!所属するJ派遣会社からは、毎月一か月前に翌月の仕事がアサインされて、当時は電話連絡で自分が担当するツアーの内容、出発日等を教えてもらい、その行き先が決まってから、ツアーで訪問する国の地理、歴史、文化、生活情報等々、ガイドブックに載っている内容を自分でノートにまとめて、出発までの間に勉強するのでした。

 

 ツアー出発の3、4日前になるとN旅行会社に行き、航空券、お客様の名簿、ツアーに必要な書類等を受け取りに行き、担当者との打ち合わせ(ブリーフィング)を行った後、派遣会社に戻ってから、前回のツアーの記録(週報のような)をコピーしたり、必要な地図等を集めて、更にはお客様全員に出発前のご挨拶を兼ねた最終確認の電話連絡をいれるのでした。

 

 不慣れな新人の私には、本当に大変な作業でしたから、東武線で足利市駅を早朝に出発して、東京の新橋駅に近い会社に行き、丸一日かけて書類を受け取り、夜には桐生の自宅まで帰るのでした。当時は母に駅までの送迎をして貰っていました。お母さん本当にありがとう。

 

 さて私が初デビューをしたヨーローッパツアーはどこでしょうか?次号お楽しみに!

苦節一年

 十日間に及ぶ新人研修ツアーも無事に終了し、私達は海外ツアーデビューの日を夢見ながら会社からの仕事の依頼を待つのでした。

 

 早く海外ツアーに行きたくて、わくわくしていましたが、中々自分の思うように上手く海外ツアーの仕事が入るわけもなく、相変わらず、びっくりバスツアーで、海外研修前と全く変わらない仕事ばかりでした。

 

 それというのも、私が最初に所属した派遣会社は様々な旅行会社の下請け的存在で、国内、海外のあらゆるツアーを請け負っていたので、どんなツアー会社の仕事になるか毎回異なる為、同期研修仲間の間でも差が出てしまうのでした。

 

 私より年上のOL経験のある友人は、「Jパックのシンガポール4日間」のツアーに添乗して、お客様、旅行会社の担当者から良い評価を受けたため、ほぼ専属のように毎月、海外の仕事が入っているとの話。次々と仲間が海外デビューして行くのを横目に、私はどんどん気落ちしていきました。

 

 「一日も早く海外デビューしてヨーロッパに行きたいね~。がんばろ~!」と同じ年の同期と話していましたが、年齢も一番若く、社会経験が無かったせいか私たちはいつまでたっても国内ツアーしかアサインされず、一年が過ぎました。

 

 ある日、かつてのイギリス遊学時代の友人から連絡があり、彼女は私にツアコンの仕事内容に関して帰国前に相談してきたのですが、なんといつの間にかN本旅行専属の派遣会社に所属して、毎月忙しく海外ツアーに行っているとの話をしました。

 

 「え?なんで?私より一年も後に帰国して私に相談していたのに、私より早く夢を叶えているなんて!どうして!ずるい!羨ましい!チックショー!」と発憤。即、同期に連絡し、いつまでたっても拉致のあかない現在の会社を辞め、早速友人がいるJ派遣会社に採用連絡をし移籍することにしました。

 

 私達は、面接、採用試験に合格してN本旅行の専属添乗員としてめでたく新たな一歩を踏み出し始めたのです。のりこ23歳の春でした。

北海道一ヶ月

 新たに移籍した派遣会社では、また国内研修からのスタート。

 

 年齢もキャリアも様々な同期が20人位いました。厳しい女性教官の元、1泊2日の国内研修後すぐに国内ツアーにデビューしました。

 

 私と友人Hは、同期のみんなには経験者であることを内緒で参加。N旅行会社の国内ツアーは、バスより新幹線、飛行機でのツアーが主流で、更に各地の支店の仕事(手配旅行:修学旅行や企業の慰安旅行、研修旅行等)など様々なジャンルの仕事があり、とてもワクワクしました。

 

 国内研修が終わり、7月の良い季節になり私達新人に北海道駐在の仕事が入ってきました。一か月交代で5~6人づつ、みんなで千歳空港の空港内のホテルに宿泊して、現地で仕事をするという内容でした。

 

 夏の北海道は人気が高く、現地スタッフだけでは足りないので、毎年東京から応援に駆け付ける体制になっています。これが新人には良い経験となるのです。

 

 団体ツアーと言っても、出発から帰着まで随行する場合と、日本各地の空港からお客様が直接札幌の千歳空港に集まり、北海道内の各地のツアーに仕分けられて、道東、道南、道北等3日間~5日間の各方面に分かれていく場合があるのです。私たちはほぼ全員が関東出身でしたが、とある事情のため北海道出身になりすましていました。網走です、知床です、と(笑)。。。 

 

 北海道のツアーには、必ずバスガイドさんも同行するので、色々な観光名所のことも勉強になり、滞在中には道内のほとんどの観光名所を巡ることが出来ました。

 

 知床半島、マリモの阿寒湖、霧の摩周湖、小樽、函館、札幌から更には利尻島礼文島という滅多には行かないような場所にまで行くことが出来ました。更には各所各所で、仲間の添乗員達と同じ宿泊になるので、みんなで業務に支障が出ない程度に夜の居酒屋に繰り出して美味しい北海道の海の幸、山の幸を食べながら仲間たちと飲み明かしたのが、今でも楽しい思い出となっています。

ムーラン・ルージュ

  パリの有名なキャバレー「ムーラン・ルージュ」のナイトショーは、21時からの第一部と0時過ぎの第二部があり、スケジュールのタイトな日本人観光客は第一部に行くことがほとんとでした。

 

 キャバレーと聞くと男性のための場所というイメージですが、本場パリのキャバレーは美貌、鍛え抜かれた身体、洗練されたダンスの出来る踊り子さんたちが繰り広げる華やかショーで、観客もドレスアップをしてディナーを食べながら男女ともに楽しむ社交場です。

 

 ただ、この場所はかつては芸術家たちのアトリエがあったモンマルトルの丘中腹で、けっして裕福ではない人たちの居住区のため、夜は治安が悪く、帰りのタクシーも捕まえるのが難しいちょっと危ない場所。それでも、日本の旅行会社がオプショナルツアーとして販売している人気のツアーです。我々研修も本場のキャバレーのショーをシャンパンを飲みながら満喫したのでした。

 

 翌日、いよいよパリの市内観光です。流石は花の都パリ!見どころ満載で3日間あっても足りないぐらいの観光名所だらけです。

 

 ツアーでは一日市内観光で有名どころを巡ります。ルーブル美術館オルセー美術館セーヌ川クルーズ~シャンゼリゼ通り~凱旋門エッフェル塔ノートルダム寺院等を現地のガイドさんの案内を聞きながら観光バスで回ります。

 

 本当にどこを見ても絵になる風景ばかりで、バスの車内からも車窓の景色を見るたびにずっとカメラ、ビデオ撮影に忙しいのでした。

 

 パリの日本人ガイドさんも在住何十年というベテランの方が多く、難しい宗教、歴史、美術の話をとても楽しく話して下さり、改めて日本に帰ってから高校時代の世界史の教科書や資料集で年表をまとめたくなるくらいでした。

 

 最近のパリ市内でのテロのニュースを耳にするたびに本当に心が痛みます。何度行っても、素敵な発見があり、世界の人々が憧れる華の都パリで、二度と悲しい事件が起きないことを願うばかりです。

添乗員、アシスタント、ガイドの違い

 スイスのジュネーブからTGVでパリのリヨン駅に到着した私達は、
パリのアシスタントさんと駅のホームで落ち合い、荷物の無事を確認し、観光バスに積み込みました。

 

 駅からホテルまでの車内では、パリ滞在中のスケジュールやオプショナルツアーの案内、注意事項等を滞在中のトラブル回避のためにお客様に説明をします。ところが美しいパリの景色を車窓から眺めながら写真やビデオ撮影に夢中になってしまいあまり話を聞いていない、という事態が生じます。しかしこの説明を怠ると後で痛い目に会うことになるので、伝わったことが実感できるまでしつこくマイクを握り続けるわけです。

 

 私たち添乗員はよくお客様にガイドさんと言われますが、ここで簡単に添乗員、アシスタントとガイドの違いを説明してみます。

【添乗員】出発から帰着までのツアー中、お客様と一緒に行動して旅の旅程管理を行う。各旅行会社に所属する旅程管理主任者。

【アシスタント】各都市の駅、空港~ホテル間、オプショナルツアー等の送迎の手伝いをしてくれる現地旅行代理店のスタッフ。現地人の場合は英語で会話する。

【ガイド】主に観光案内が主流の為、現地人のローカルガイド、一緒に通訳する現地在住の日本人と二人組でセットで来ることが多い。

※観光案内の仕事は専門資格を必要とし、その資格を持っていないと案内することができない為、日本人ガイドは通訳という立場になります。中にはその資格を所有している日本人もいるので、その場合は1人でも観光案内が出来ます。

 

 という具合にそれぞれの役割分担があるので、ホテルのチェックイン等は、アシスタントさんと一緒に行います。私が手続きしている間に、アシスタントさんはスーツケースの盗難防止のために見張っていてくれたり、ホテルのポーターさん指示を出してくれたりします。

 

 この日は、パリのホテルにチェックインして、かの有名なムーランルージュのキャバレーに出かけていきました・・・。

ラゲッジ勝負のTGV

 十日間に渡る研修旅行もいよいよ終わりに近づいて来ました。

 

 私たちは、スイスのローザンヌからジュネーブに移動し、ジュネーブ市内散策を終えて、最終目的地であるフランスのパリへと向かいました。

 

 ジュネーブ~パリ間は、ヨーロッパの新幹線とも言われているフランスが誇るTGV(テージェーベー)で約3時間の旅です。

 

 憧れの花の都パリに行ける嬉しさも感じつつも、本番では自分一人で20~40人のツアー客を連れての移動になるので、ホームでの集合場所、トイレの位置、両替所、そして列車の乗車位置などをしっかりと確認してから、列車に乗り込みました。

 

 そして、ここの山場は荷物の搬入。

 

 乗客用車両と荷物用車両は別なので、荷物の確認作業を怠ると、荷物がないとか、他の日本人ツアーの荷物と間違ってしまうというトラブルが発生してしまう難所なのです。

 

 荷物運びのポーターさんは現地アシスタントの手配なので、私たちツアコンはバスから降ろしたスーツケースのタグに付いたツアー名、色、名前をお客様ご本人に確認して頂いてから、ポーターさんに荷物を搬入してもらいます。

 

 私たちが気をつけていてもここは海外。リスク軽減のために、団体ツアーに参加するお客様に必す荷物のタグ、バッジを付けて頂く理由がここにあるわけです。旅行者のタグ以外にも、自分のスーツケースを見分けやすくする為にバンダナ、リボン等を結び付けておくのがおすすめです。

 

 という具合に、入念にすべての確認作業の段取り確認を済ませて、私たちは、ジュネーブを後にしてパリへと出発しました。

 

 因みにヨーロッパは陸続きの為、国境を超える際にも列車の車掌さんと一緒に税関の職員が乗り込んできて、私たちのパスポートを確認してくれますので、簡単な確認作業で出入国終了となります。TGVに乗り込んだ私たちは、目的地パリの勉強をしながら車窓の景色を楽しんだりして3時間の旅を楽しんだのでした、次回はいよいよパリです。