ノリコ=ポーロの西方見聞録

勉強できない、英語しゃべれない、でも広い世界へ飛び出したい!との思いから、添乗員となり世界中アチコチ飛び回り、様々な人たちとの出会いや交流、旅のドタバタ劇などをご紹介していきます。このブログは、星野管工(株)発行のホシカン通信に掲載しているコラムのバックナンバーです。

ヨーロッパの寝台列車 Vol.8

 スイスの大自然を満喫した次の目的地は、南下してすぐの隣国イタリアです。

 イタリアと言っても当時は現在ほど人気のある旅行スポットではなく、ヨーロッパ旅行といえば、ロンドン、パリ、ローマ等の大都市巡りが主流でした。

 私達もイタリアの行き先を考えた時に必ず行きたいと思ったのは、世界史の授業で使った資料集の表紙「ピサの斜塔」とローマの「コロッセオ」でした。

 他にも行きたい街はありましたが、何しろ今回の自由旅行はまだこれからフランス南部、スペインへも行く予定でしたので、イタリアではメインスポットを上記の2ヶ所に絞りました。

 

 スイスから夜行寝台列車でミラノに向かいました。

 夜の9時に出発して、翌朝6時頃にイタリアのミラノ中央駅に到着する。

 ホテルに泊まるよりも有効に時間を使えるので、今回の旅行では、何度も寝台夜行列車を利用しました。寝ている間に違う国に移動しているなんてちょっと素敵じゃないですか?

 

 ここで余談。寝台夜行列車は、だいたい一つのコンパートメントに二段ベッドが二つ向かい合って並んでいて四名定員。

 各車両に、トイレと洗面所があり、快適と言えないまでも、一人のスペースは確保できるし、二段ベッドにはカーテンもついていて中から鍵をかけることができるので、横になって体を休めることは出来ました。

 それでも列車内での盗難には注意して貴重品はキャッシュベルト(いわゆる腹巻き)に入れ、身体につけていました。

 といっても、こっちに来てからはずっと命の次に大事なパスポート、現金は肌身離さず腹巻きに入れていて、カバンの中にはその日に使う分のお金しか入れないようにしていました。

 

 いよいよスイスからイタリアに入る国境で、国境の税関職員が車掌と一緒に回って来ました。

 パスポートの提示を求めたので、私はおもむろに腹巻きからパスポートをゴソゴソ出し提示。

 笑顔でポンッとスタンプを押してもらいました。 なんとも簡単な出入国。

 当時から、日本人は信用されていたので、特に入国の際にトラブルになることはありませんでした。