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ノリコ=ポーロの西方見聞録

勉強できない、英語しゃべれない、でも広い世界へ飛び出したい!との思いから、添乗員となり世界中アチコチ飛び回り、様々な人たちとの出会いや交流、旅のドタバタ劇などをご紹介していきます。このブログは、星野管工(株)発行のホシカン通信に掲載しているコラムのバックナンバーです。

悲しいスイスの歴史

Felice  anno nuovo!  

「明けましておめでとう!」(イタリア語)

 今年も宜しくお願いします。

 

 さて、我々見習い添乗員一行はリヒテンシュタインからスイス中部にある街・ルツェルンに到着しました。

 

 ルツェルンは人口8万人弱の静かな街で、周囲をピラトゥス山・リギ山に囲まれ、ルツェルン湖の湖畔に位置し、自然豊かで美しい街並みが魅力です。

 

 あまり観光地としてメジャーな街ではありませんが、のんびりと優雅な旅をしたい方にはぴったり。

 

 一泊した翌朝、私達は旧市街から街のシンボルにもなっている湖にかかる中世の趣が残るカペル橋等を散策してから、有名な瀕死のライオン像に向かいました。

 

 この像はルイ16世とその家族を守って死んでいったスイス傭兵達の悲劇をテーマに扱った記念碑です。

 背中に折れた矢が刺さったライオンはスイス人傭兵を表し、ライオンがかばっている盾はルイ16世を表しています。

 

  何故、スイス人がフランス国王を守ったか、悲しい歴史に触れてみましょう。今でこそスイスと言えばチョコレート、銀行、高級時計、平和な永世中立国、といったのんびり美しい国というイメージが思い浮かぶかと思いますが、スイスは国土の大半が山地で農作物があまりとれない貧しい国土のため、傭兵稼業が基幹産業でした。  

 

 一方で隣接する他国にとっては侵略が極めて困難な上、それに見合った利益が得られない国と見做されていたので、スイスの安全保障にプラスに働き、中世の時代は屈強なスイス人傭兵を各国が召し抱え、「血の輸出」とよばれていました。  

 

 中でも有名なのがローマ教皇を守り最後まで戦った話。ちなみに現在でもバチカン市国の衛兵たちは、スイス人傭兵です。制服はミケランジェロの作ですから、バチカン市国に訪れた際はスイス人傭兵の制服にも注目してみて下さいね。  

 

 この「瀕死のライオン像」の悲しいエピソードは、今でも心に残っているほど私にとって、本当に衝撃的な歴史の話でした。