ノリコ=ポーロの西方見聞録

勉強できない、英語しゃべれない、でも広い世界へ飛び出したい!との思いから、添乗員となり世界中アチコチ飛び回り、様々な人たちとの出会いや交流、旅のドタバタ劇などをご紹介していきます。このブログは、星野管工(株)発行のホシカン通信に掲載しているコラムのバックナンバーです。

永遠の都 ローマ

 翌朝、スリ、ひったくりでも世界的に有名な永遠の都ローマの街を観光するため、リュックサックに小さく折りたたんだ市街地図を入れ、パスポート、現金、カード類が入ったキャッシュベルト(腹巻き)を装着し、メトロ(地下鉄)バスの共通一日券を片手に巻き付け、いざコロッセオ円形闘技場)へ向けて重装歩兵のように出発しました。

 

 

 地下鉄のメトロBラインでテルミニ駅から2つ目、コロッセオ駅から徒歩ですぐ到着。

 今思えば、近いから歩いても行けたのですが、せっかく一日券を購入したのに、「利用しないともったいない」というケチ根性というか貧乏性からメトロで向かいました。

 

 地下鉄の階段を上がり、路上に出ると、眩しい太陽の光とともに目の前にはなんとあの世界史の資料集で見たコロッセオが。

 「わーすごい!本物のコロッセオだ!」私は二千年前に建てられた巨大な建造物の圧倒的な迫力の前に、ただ立ち尽くすのみで、その時の衝撃と感動は今でも記憶に強く残っています。

 

 当時は中に入るのも無料だったので、コロッセオ内部のアレーナ、客席まで見ることが出来ました。現在は、入場料がかかるようです。

 

 参考までにコロッセオ(Colosseo)は英語で競技場を指す(Colosseum)コロシアムの語源にもなっています。

 ローマ帝国時代には、奴隷であった剣闘士同士の戦いや、剣闘士対動物の戦い、またキリスト教徒を迫害していた時代には、キリスト教徒を猛獣に襲わせたり、処刑したりしていた場所です。

 「パンとサーカスを!」と言われたように当時のローマは食料と娯楽施設の利用は無料だったそうで、それはローマ市民の政治への不満をそらすための愚民政策であった訳です。

 その後、中世にかけて、バチカン市国にあるサンピエトロ大聖堂の建設の為の採石場として使用され続け現在の姿をとどめています。

 

 様々な感慨に耽りながらコロッセオを堪能した私たちは、お決まりの日本語ガイドブックとハガキを買い求め、次の目的地であるトレビの泉へと移動すべく地図を片手に歩き出したのでした。