ノリコ=ポーロの西方見聞録

勉強できない、英語しゃべれない、でも広い世界へ飛び出したい!との思いから、添乗員となり世界中アチコチ飛び回り、様々な人たちとの出会いや交流、旅のドタバタ劇などをご紹介していきます。このブログは、星野管工(株)発行のホシカン通信に掲載しているコラムのバックナンバーです。

ツアコンへの道1

 一年間のイギリス遊学を終えて故郷桐生に戻ってきた私は、海外添乗員になって世界中を飛び回るという自分の夢に向かっていくことを決意したものの、どうしたら添乗員(以下ツアコン)になれるのかもわからずにいました。

 

 当時は、まだネットも携帯電話も無い時代だったので、本で調べたりしていましたが、たまたま母の知人の女性で現役のツアコンの方がいたので、色々と話を聞かせて貰うことができました。

 彼女は、大手旅行会社の海外ツアーに毎月行っている30代後半のベテランのツアコンさん。

  短大時代にコンビニやレストラン等のアルバイト以外就業経験の無い私に「お給料も安定していないし、保証もなく、ツアー中は何か事件・事故が起こっても一人で解決しなくてはならない大変な仕事だから、やめた方がいいわよ!」と熱心に説得してくていました。

 ツアコンになる為にはまず旅行会社に入社しないといけないと考えていたところ、  旅行会社に入社してもカウンター業務等の一般事務がメインで、海外添乗に行く為には、旅行会社に所属する専属またはフリーの添乗員派遣会社に所属すれば良いという話をきいて、「それなら私でもなれるかもしれない!」と、気持ちが折れるどころか希望を抱いたのを思い出します。

 どんなに反対されても世界中を旅して見聞を広げたいと思っていたので、  私の説得に両親、祖父母も理解を示して、応援してくれました。

 さっそく都内のいくつかの派遣会社に連絡をして面接を受けて「エコール=インターナショナル」という素敵なネーミングの会社に合格し、住所を頼りに意気揚々と会社に向かいました。

 名前はお洒落ですが、新宿三丁目と市ヶ谷の間にある曙橋が最寄駅の小さいビルの2〜3Fに居を構える会社でした。

 見た目はとにかく、この派遣会社に所属してみよう!と決めた私は新人ツアコンとして、まずは国内研修を受けてすぐに、国内旅行の添乗員としてスタートすることになりました。

イギリス遊学 総括

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20歳で短大を卒業し、英語の成績もいまいちだった私ですが、このイギリス滞在中に得た経験はどんな宝物にも代えがたい貴重なものになりました。

不安で寂しい時もありましたが、私の事を誰も知らない土地に行き、少しずつ知り合い、友人が出来て行き、英語も聞き取れるようになって行く楽しさは、本当に格別な気持ちで毎日がわくわくしていました。

このイギリス遊学中に出会った海外の友人たちに会いたい!と言う思いから私の今後の人生が決まって行くことになるのですが、それは幼少期からの夢とも重なり、日本に帰国してから、私は旅行会社の添乗員(ツアーコンダクター)を目指して、奮闘するのでした。

来月号からは、新米添乗員の奮闘記をお送り致します。

‘90年4月〜‘91年3月にかけて一年間に渡るイギリス遊学でしたが、この年は『湾岸戦争』が勃発した大変な年でもありました。テレビ中継で観た戦争の様子は、まるで映画のワンシーンのように衝撃的であった事を覚えています。

同じ語学学校にはアラブ諸国からも何人かが留学に来ていて、サウジアラビアカタール、そしてクウェートの友達もいました。

イギリスではみんな仲が良く、とてもいい仲間でした。

さすがにクウェートから来ていたベトが自分の国がイラクに侵攻された時には、みんなで心配してベトを気遣っていました。緊急帰国した彼は、今どうしているのだろう?と時々思い出します。

あれから25年が過ぎたのに、現在の世界情勢は、ますます酷くなる一方で尋常ではない状態となり、毎日悲しいニュースが絶えませんが、国や言葉、宗教は異なっても、私達は同じ人間であるという事、一日も早く平和な世の中になって欲しいと切に願います。

あまりにも人間たちが利己的で私利私欲ばかりを追求していると、旧約聖書にあるようにまた神様の逆鱗に触れて、大洪水が起こりノアの方舟のような状況になってしまうかもしれませんね。

人類皆兄弟。一日も早く世界平和が訪れますように・・・。

 

コンチネンタルブレックファースト

 スペインのマラガでの新年を満喫した後、旅の最後にマドリッドに住むお友達のフリアを訪ねるために、列車で首都マドリッドに向かいました。

 フリアは当時28歳の小柄でとっても明るくて楽しい女性でした。イギリスのパブでは一人でフラメンコを踊りだすような性格だったので友達もたくさんいて、スペイン語のわからない私にも、どんどん話しかけてきてくれた素敵な仲間の一人でした。

 そんなフリア宅にお泊りさせて貰い、マドリッド市内を案内して貰ったり、フリアの友人たちとスペインのディスコに連れて行って貰ったりと楽しい時を過ごすことが出来ました。

 しかし夕食後ディスコに繰り出したのが、23時過ぎ。明け方までみんなで大騒ぎしていましたが、私はもう意識朦朧としてほとんど眠っている状態。次の日は昼近くまで爆睡してしまいました。

 

 なぜ南ヨーローッパの朝食が他の地域位比べて、質素でシンプルなのか、という理由を体感的に理解しました。

 スペイン、イタリア、ギリシャ等南ヨーロッパでは、夕食の開始時間が遅く、家族や仲間達と会話を楽しみながら、ゆっくりと時間をかけて食べるため朝食は食べない人も多く、食べるとしても本当に軽食なのです。エスプレッソ、またはカフェオーレとマーマレードの入った、クロワッサンか甘いビスケットをコーヒーにびちゃびちゃと付けて食べる位です。

 

 ですので、これから南ヨーローッパにお出かけになる際は、ツアーパンフレットに”Continental Breakfast”と書いてあればシンプルな朝食、”American Breakfast”、または、”English Breakfast”と記載してあったら種類豊富な朝食となります。

 

 スペインの友人たちとの楽しい時を過ごした私は、再びイギリスに戻ってきました。私のイギリス遊学も残すところ三か月、友人たちのいない寂しくなったイーストボーンの街を後にして、再び最初の学校のあるヘイスティングスに戻り、別の学校に通うことにしました。

 

マラガの大晦日

 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。  

 さて、クリスマスをバルセロナで過ごした後、私はよっちゃんと別れて、
一人でスペイン南部アンダルシア地方のマラガに向いました。

 

 イギリスの語学学校で知り合ったアナという女の子の友達の家にお泊りさせて貰うために、バルセロナから列車を乗り継いで行きました。

 

 マラガは、地中海に面したイベリア半島南端の「太陽の海岸-コスタ デル ソル」の中心地で、国際的なリゾート地。南部スペインの工業、農業の中心地でもあり古くからの港湾都市で、ピカソ生誕の地でもあります。

 

 当時は携帯電話ないので、公衆電話からテレフォンカードで電話して、自分が乗る列車の到着時間を告げて「迎えに来てくれているかしら?」とドキドキしながら列車に乗り込んだものです。

 

 無事にマラガ駅に到着して、アナと彼女の自宅に向いました。スペインの皆さんはいつも陽気で、明るくて、おおらかな人たちが多くて、私は言葉が通じないのが淋しかったので「地球の歩き方6カ国語会話集」を使って何とかスペイン語で会話しようと頑張っていました。みんなから、「のりこは発音が良いね!」と褒められると嬉しくて、もっと勉強しよう!と心に決めて帰国したのですが、途中で「イタリア語」に方向転換してしまいましたが・・・。

 

 大晦日の夜、アナのお母さんの美味しい手料理をご馳走になって、ご家族の皆さんと一緒に初日の出ならぬ、初花火を観に街に出かけました。

 

 スペインの夕食は遅く、20時~23時頃までおしゃべりをしながら食事を楽しむのですが、私は眠くて大変でした。昼休みを長く取る昼寝(シエスタ)の時間があるのは夕食のためなんでしょうね。

 

 では最後に、スペイン語で締めくくります。 Feliz Navidad! (フェリス ナビダ:メリークリスマス) Feliz Año Nuevo! (フェリスアニョ ヌエボ:あけましておめでとう)

クリスマス in スペイン

 語学学校の三か月コースが一旦終了する十二月。再び寂しい別れの時期を迎えました。

 クリスマス前に学校のお別れパーティーで、仲間たちとの最後の夜を過ごし、ヨーロッパの友人たちはみんな自分の家に帰って行きました。私は日本人の友人のよっちゃんと一緒にスペインの友人のお家にお泊りさせてもらいながら、二週間のクリスマス休暇を過ごすことにしました。

 日本では二十歳を過ぎていたらクリスマスやお正月には、友人や恋人と旅行に出かけたりすることが多いと思うのですが、こちらではクリスマスは家族、親族一同が揃って、食事をしながら家でゆっくり過ごし、大晦日から元日にかけて友人、仲間たちと町に繰り出し、新年を迎えるのが通例とのこと。

 日本とはお正月とクリスマスのノリが逆なんだな~と思いました。

 

 私とよっちゃんは、スペインの首都バルセロナ近郊のテレサのお宅にお世話になりました。

 テレサは大学生で、よっちゃんとホームステイ先が一緒で仲良しになった優しいスペイン人の女の子。

 因みに、よっちゃんは社会人として働いていましたが、スキルアップの為にイギリスに短期留学に来ていました。年齢は違いましたが、気が合ってよく一緒に出掛けていました。

 テレサの自宅は立派なお屋敷で、プレゼーピオというイエス=キリストの生誕場面を再現したお人形が玄関に飾られていました。

 実は意外にもスペイン、イタリアなどカトリックの影響が強い南ヨーロッパの町では、日本人がイメージするようなモミの木の飾りつけも、派手なイルミネーションも全く無くて飾りつけはシンプル。宗教的な行事としての色合いが濃いのです。
 プロテスタント系のドイツ、オーストリアの方が街並みのイルミネーションは華やか。最近のツアーでもヨーロッパのクリスマスマーケットを巡るツアーは、殆どがドイツ、スイス、オーストリア北ヨーロッパだと思います。しかし、近年の日本各地のイルミネーションが世界で一番、派手で華やかだと感じますが・・・。

 

ハロウィンの歴史を少しばかり

  十月三十一日のハロウィン。
 
 日本でもだいぶ浸透して、あちこちでイベントが行われるようになってきました。
 そこで、ハロウィンについてお話したいと思います。
 
 
 ハロウィン、あるいはハロウィーン(英: Halloween または Hallowe'en)は、毎年十月末日に行われる古代ケルトが起源の祭りと言われています。
 
 もともとは秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す宗教的な意味合いのある行事でしたが、現代では特にアメリカで民間行事として定着し世界に広まったそうです。
 
 一方、十一月五日に行われるボンファイア(Bonfire)がイギリスの伝統的な秋のイベントで、こちらは1605年の国会議事堂爆発未遂事件が由来とか。
 
 ガイ人形という、ぼろきれを着せた人形を持った子ども達が近所を周りお金をもらったり、仮装行列をしたり、篝火をたいたり、花火を打ち上げたりする火祭り行事。
 
 子どもたちが魔女やお化けに仮装して近所を訪れてお菓子をもらう、という風習はにているのですが、カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾っているような家はないわけですが、近年はアメリカから逆輸入されてきているようです。
 
 日本の収穫を感謝する神嘗祭新嘗祭と、お盆を混ぜたみたいな雰囲気がしますね。日本は八百万信仰ということもあり、他の宗教の祭りを何でもうまく取り入れて、日本流にアレンジし、オリジナルよりも上手に楽しめていると思います。
 
 特に仮装が大好きな息子は、東京ディズニーランドのハロウィンに行きたいと言うので、近所で買ったハロウィンアイテムで親子共々仮装してディズニーランドに乗り込みましたが、「ディズニーキャラクターの仮装で。」とのお断りが・・・。さすがに注意はされませんでしたが、それ以降、仮装で行くと無料で入場できる那須ハイランドパークに場所を変更しています。
 
 先日も行ってきましたが、我が家以外は外国人ファミリー二家族が仮装しているくらいの寂しいものでした・・・。

パブの話

勉強の話は余り覚えていないのですが、
それなりに語学に励み、
学校から帰宅後に宿題を済ませ、
翌日の準備をしたり友達と買い物に行ったり、
中でも一番楽しかったのは、
夕食後に行きつけのパブに行き、
学校の友達とみんなで楽しい時間を過ごすことでした。

 

9月から通い始めたイーストボーンの語学学校には、
スペイン人の学生たちが沢山来ていたので、
スペイン人十人位の中に混じってよく一緒に出掛けました。

 

スペインの仲間達は、
お酒が進んで来ると、
手拍子とみんなの歌に合わせてフラメンコを踊りだして
本当に陽気な友達ばかりでした。

 

私は短大を卒業したてで、
そんなにお酒の種類を知らなかったのですが、
仲間達にパブで色んな種類のお酒を教えて貰いました。

 

きっと、
現在の私のお酒好きの礎はこのイギリス遊学時代に培われたものでしょう!

 

ここで少々パブのお話をしたいと思います。

 

イギリスと言えば、
ポストの数より多いのがパブの数と言われています。

 

お酒を出すだけと思われがちすが、
昼間は美味しいランチを出す店も多く、
お茶を飲んだり、
カフェとして利用したりもしていました。

 

パブは一見すると入口が薄暗くて、
ちょっと敷居が高い雰囲気もありますが、
そこをがんばってクリアしたらカウンターで立ち飲みしている人達や、
テーブル席で寛いでいる人達がいますので、
カウンターに行ってレジがある所で、
注文してお金を払うとビールが出てきます。

 

日本のセルフサービス形式と一緒な感じです。

 

ビールは、
1パイント(1pint =568ml)がビールのロング缶位で、
1/2パイント(ハーフパイント280ml)が缶ビールより少なめとグラスのサイズです。

 

「1pint of Guiness,please」 「ギネスビールを一杯ください」

とレジで注文すればOK。

 

イギリスはギネスという黒ビールが有名ですが、
その他にもいろんな種類の地ビールが揃っていますので、
是非パブに入って見て下さいね!