ノリコ=ポーロの西方見聞録

勉強できない、英語しゃべれない、でも広い世界へ飛び出したい!との思いから、添乗員となり世界中アチコチ飛び回り、様々な人たちとの出会いや交流、旅のドタバタ劇などをご紹介していきます。このブログは、星野管工(株)発行のホシカン通信に掲載しているコラムのバックナンバーです。

Vol.54 楽しい添乗員仲間

毎年2月~3月にかけては、大学・短大の学生さん達の卒業旅行シーズンとなり、私達も余り年齢の変わらないお客様と一緒に楽しみながら旅をしたものです。当時は、まだバブルの名残があり、更にヨーロッパ旅行が一番人気のコースでしたから、私達ツアコンも大忙しでした。中には1か月間かけてヨーロッパを周遊するロングコースもありましたが、私が担当したのは長くても2週間程度13泊15日位のコースでした。

 

忙しいこの季節は15日間行って、帰国して、清算・打ち合わせ・洗濯をして、すぐにまた3日後に別のコースに出る、というのが当たり前でした。

 

ツアコンの仲間たち50人位の1ヵ月間のコース別スケジュール(今どこリスト)を各自渡されて、いつどこに誰がいるのか一目でわかるようになっていました。

 

その当時は携帯電話が無い時代ですから、連絡を取るのはホテルへのFaxだけが唯一の連絡手段でした。

 

その当時、新橋にあったN本旅行の打ち合わせが終わると仲の良い同僚たちで、駅前の居酒屋に繰り出しては、各都市での待ち合わせ日時等を確認したものです。

 

10人位で集まっては、「次のツアーどこ?ロン・パリ・ローマだから、パリでミート出来るよね!」(ミート:肉ではなく英語のMeet:会う事)(笑)「私は、ロンドン・ロマンチックだからロンドンなら会えるよ~!」とか20代の女子達にしては生意気な会話をしていたかもしれないですね。

 

各都市の現地情報をお互いに交換し合って、助け合っていました。現在ではなんでもネットでググれば良い時代ですが、当時はひたすら本を探したり、先輩方のツアーレポート等を参考にして、毎回自分が担当する国のコースを勉強したのでした。

 

みんな酒豪揃いで強者ばかり、大声で飲んで、笑って楽しい時間を過ごしていました。

 

実際のツアーに出ているときは、常に一人で全ての責任を背負っての仕事でしたから、いつも楽しいばかりではなくて、飛行機が欠航する、ホテルがオーバーブッキングで部屋が無い、お客様の病気、ケガ等様々なトラブルに遭った時の対処法、全てがマニュアル通りに行くわけではなかったので、精神的・肉体的なタフさが求められる仕事でした。

 

そういった孤独なツアー中に現地で仲間達に会って、色々な出来事を話したり、愚痴を聞いてもらったりする時間が本当に大事でした。

 

20年以上たった今でもその当時の仲間達(同志)との交流は続いていて、今でも私の大切な宝物となっています。